●3 ネクタイ





素人ばかりの危なっかしい従業員だけで始まったカジノパーティのイベントも終盤に近づき、怒涛の忙しさにもキリがついた。
安い笑顔や軽いジョークに慣れているゼロスでも、こう多くの人間をもてなすのは、体力的にも精神的にもきつい。
来賓のお偉いさん方が退屈な演説を始めたのを見計らって、ゼロスは盆を置くとするりと裏口へ抜け出した。



うずまく熱気から逃れると、自然とため息が出た。 湿って冷たい海風が、今は心地よい。
あおられる髪を押さえながら空を見上げると、暗い夜空に星はひとつも見えなかった。 たぶんこのネオンがまぶしいせいだろう。
カジノの雰囲気は嫌いじゃないが、これにパーティなどというイベントが加わると、途端に下品になるのが不思議だった。 いや、そうでもないか。
そもそもカジノなんて場所は、欲深き金の亡者が集まって、上品を装っているような場所なのだから、興奮して仮面がはがれればこうなるのも当然。
むき出しになった醜い心はがぜん悪意を増して、同じ場に存在する無関係なものにも向けられた。 その筆頭が身内のバニーたち、リフィルとしいなだ。なまじ見目がいいから、視線を集める。 一度経験もあり大人の余裕を持ったリフィルは、近寄ってくる悪意と下心を要領よく払いのけていたが、性格的に無知と隙を合わせ持ったしいなは、はたから見て面白いほどに格好の的だった。
男の目を引くあのボディで恥ずかしそうに頬を赤らめているのだ。 そこに立っているだけでちょっかいを出したくなるのはゼロスだけではないらしい。 普段自分のやっていることを他人がやるのを見るのは気に入らない、という独りよがりなエゴイズムから、時々助け舟を出してやったりもしたが、あのしいなだ。今もまた迫られてあたふたしているのだろう。
本当はしばらくせめて退屈な演説が終わるまでサボるつもりだったのだが、そう思うと急に心配になってくる。
中に戻ろうか。
そう足を返したところで、突然向こうから扉が開いた。ひょこっとのぞいたのはウサギの耳。



「なんだいゼロス。ここにいたのかい」
疲労を張り付かせた顔で、しいなは薄く笑った。強い風に目を細めながら扉を閉める。壁に並んでもたれながら、遠くの海を見つめていた。
「疲れたか?」
「そりゃね。なんだってこうみんなして一度に話しかけてくるのかね」
「そりゃーしいながミリョク的だからなんじゃねーの」
しいながガックリと顔を下げると、その頭についたウサギの耳もへこんとへたれた。その様がなぜか面白くなくて、自然と返す口調がぶっきらぼうになる。するとかすかに息を呑んだ彼女が、俯いたままうらめしそうに言った。
「機嫌悪いね、ゼロス」
「あ?」
「だからってあたしに当たんないどくれよ」
「当たってなんかねーよ」
ふてくされたように否定してみたが、実際にはそういう響きがあったのかもしれない。ひどく疲れているのは確かだったから。珍しく敏感に相手の気分を読み取ったしいなは、申し訳なさそうに肩を縮めた。
波音の中に嫌な沈黙が生まれる。扉の向こうから拍手が聞こえてきて、そろそろ戻らなければいけないな、と憂鬱に思った。そして。
「やーめた!」
「な、なんだい! いきなり!」
突然パンと手をたたいたゼロスに驚いたしいなが、ビクリとうさぎの耳を揺らす。うさんくさそうな表情を浮かべる彼女の正面に立って、ニヤリとゼロスは笑って見せた。
「こっそり帰っちまおうぜ、しいな」
「ええ!? ゼロス、それはさすがにまずいよ」
「だーいじょうぶだって! どうせあとは片付けくらいだろ。そんなん人手がなくても時間があればいつかは終わる」
もうすでにゼロスの頭は終業モードに切り替わって、気を抜くために首元に手を突っ込んでネクタイを緩める。



その仕草を間近で見たしいなが、かすかな明かりの中で頬を染めたように見えて、ゼロスは首をかしげた。
「ん?」
「なんでもないよっ! でもさ、みんなに悪いじゃないか」
顔をそらしながら、怒った風を装ってしいなが反論する。ただし、かたくなにそれを拒むつもりはなさそうだった。緩めたネクタイと外したボタンで首元を開放したゼロスは、取り合わずにそのまま建物を回って歩いていく。
「ほーら、早く来いよしいな! ばれっぞ!」
いまだそこに立ち尽くしているしいなを振り返ると、片手を上げて催促した。一人で帰ってもいいはずなのに、そういう選択肢はまるでなかった。強引な誘いにしいなはふと笑うと。
「しょうがないねえ、付き合ってあげるよ」
頭の上でうざったらしく揺れるうさぎの耳をむしり取って駆けて来る。
ラフなウェイターに耳のないバニーガール。カジノのわき道から水上レールウェイへと走る走るそのさまが、少しだけ恋人同士の逃避行にも思えてくすぐったっかった。






カナタ様の小説に挿絵を描かせていただきました。其の弐
依頼は私なのに遅くなりしかもこの出来…すいませんでした!